私には、祖母がいました。
ふたりとも、故人になって久しい。

最近、母から聞いたのですが共通している点がひとつありました。

祖母たちの金銭的苦悩を振り返る

時代の流れをさかのぼり、母方の祖母からはじめます。

70年以上過去に遡りましょう。

祖母(母方)の金銭的苦悩

私の母は1940年代(昭和20年代)生まれ。
ここからの話は1950年以前から始まっています。

母が幼少の頃、実家は名家で富裕層だったそうです。
昔からの広い家屋に、田畑・山林、貯蔵する蔵もありました。

それが、あっという間に没落したという。

多くの財産は、すべて人手に渡り家族の生活は困窮を極めたと。

とにかく、何事にもお金がなかった。

祖母は金銭的苦悩に立ち向かい続けたそうです。

苦悩の原因 祖父の深刻な浪費

祖父(母方)の収入は、一切ありませんでした。
就職した事もないと聞いています。

賭博をはじめとする出費のために、元手がなくなったら財産を手放す生活を続けたのです。

目先の金銭のために、家族の財産にも手を付ける人物だったという。

伝え聞いた祖父の行動はこちら

  • 収入がない
  • 賭博を止めない
  • 祖母に金銭がほしいと付いてまわる
  • 子供たちが就労後、給料支払日に取り上げる
  • 待望の家電を売り払ってしまう
  • 妾を家に連れてくる
(母方)祖父の母も、金銭に無頓着な性格だったといいます。

もしかしたら浪費は後天的に遺伝するかもしれない。

際限なく出費が続き、それを祖母が何とか立て直すという有様でした。

金銭不足によって、家族の生活は困窮を極めたといいます。

当時の困窮を伝える言葉を伯母から聞いているので、特に記しておきます。

Q, 一番困ったことは何だった?
A, マッチが一本もなかったことかな...

偉大なる忍耐の人

田畑があった頃は、家族の食料以外は行商で売り歩いていたそうです。

ところが、地方市場が完成して行商の売れ行きが激減。

さらに田畑も家族の食料も、祖父が売り払ってしまう。

現金収入が完全に絶たれるという危機が迫ります。

その頃から、祖母は金属加工業の工場に就職しました。

祖母は、家事も就労も投げ出さずに働き続けました。

結果として、家族は貧困からの崩壊を免れます。

朝から晩まで苦労を背負った忍耐を偉大と呼びたい。

祖父の浪費に耐えながら、子供たち(母の代)を育て上げる。

子供たちが就職して、やっと養育費が軽減されるようになりました。




その後の様子

生活が楽になるかと思えば、そんなことはありませんでした。

祖父の浪費は止まず、遠方に就職していた子供たちに祖父が金銭を求めて訪ねて来たといいます。

最終的に実家の土地・家屋まで手放してしまいましたが、伯母の尽力で買い戻す事に成功。

祖父ひとりを実家に残して、祖母と伯母・叔父は別居。

祖母に連れられて、私も実家の手入れに行った記憶があります。

20年以上前に、祖父は転倒が原因で入院。

家族・親族を振り回した生涯は、あっけなく終わりました。

古くなっていた実家は解体され、整地後に新築。

やっと祖母と伯母・伯父たちが戻る事ができました。

新たな実家に戻り、10数年後に祖母は生涯を終えました。

何十年も金銭的苦悩に耐え忍んだ人生ですが、その人格は温和でした。

もしも、家事と就労の一部でも投げ出していたら、私が誕生する事はなかったでしょう。

金銭の問題は、未来に大きく影響します。

自分ひとりの問題ではなく、家族・親族の未来を左右するのです。

金銭の取り扱いは、慎重を期しましょう。

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